昨年の真夏のこと。強い日差しがアスファルトを焼き、ヘルメットの中は蒸し風呂のようだった。バイク便ライダーの私は、予定がぎっしり詰まった配送スケジュールの遅れを取り戻すため、都内の抜け道を急いでいた。
「次の集荷まであと20分か……急がないとなぁ」
スロットルを握る手に自然と力が入る。その時、住宅街の狭い路地裏にある自販機の脇で、一人の老人がガードレールに寄りかかるようにしてへたり込んでいるのが目に入った。頭を低く垂れ、額からは尋常ではない量の汗が吹き出している。
迷ったが、通り過ぎようとした。今は1分1秒が惜しい。誰かが気づいて声をかけるだろう――そう自分に言い聞かせようとしたが、バックミラーに映る老人の弱々しい姿が、どうしても胸に引っかかった。
「……チッ、しょうがないな」
私はバイクを安全な場所に止め、スタンドを立てると、老人のもとへ駆け寄った。「大丈夫ですか?」と声をかけると、老人はうつろな目で私を見上げ、かすれた声で「少し、目眩が……」と呟いた。
完全に熱中症の初期症状だった。声をかけてよかった。私は急いで自販機でスポーツドリンクを買い、老人に飲ませた。そして、日陰に移動させ、首筋を冷やしながら、落ち着くまで寄り添った。幸いにも意識ははっきりしており、しばらくすると顔色が戻ってきた。老人が「もう大丈夫、ありがとう」と微笑んだ。私は「ちゃんと日陰で休んでくださいね」と言い、慌ててバイクに飛び乗った。
会社には遅れた理由を特に報告しなかった。人を介抱したから、なんていうのが、なんだか照れ臭かったというか、面倒くさかったからだ。さぼったと思われてきつく注意されたが、べつに後悔はなかった。
――それから数日後。 同じエリアの配達を終え、一息つこうと近くのコンビニに立ち寄った時のことだ。「おーい、お兄さん!」と声をかけられた。振り返ると、あの時の老人が元気に歩いてくるではないか。
「あの時は本当にありがとう。命の恩人だ」
老人は嬉しそうに目を細め、コンビニのレジへ私を促すと、淹れたてのアイスコーヒーを一杯ごちそうしてくれた。
手渡された紙コップは冷たくて、火照った身体に心地よかった。忙しい日常の中で、ほんの一瞬交わした優しさが、冷たい珈琲となって私を潤してくれた。バイクのエンジンをかける私の心は、夏の青空のように晴れやかだった。
